受験勉強の虚しさと向き合う その弐

その壱をまだ御覧になってない方はコチラから

 

lunakfg.hatenablog.com

 

 

 

前回は、学びを分類し、分析しました。

 

 

虚しさの正体を探る

 

ずばり結論を述べるとすると、「学びそのものに楽しさが無い。」から受験勉強につらさや虚しさが生まれるのです。

 

 

受験勉強にはゴールがあります。高校や大学への合格です。それ故、結果が重視され、それに対して過程にはそれほど重きを置かれません。どこの学校も「受験勉強の頑張り」を理由に合格を認めてくれませんからね。

 

 

だから、学校や塾、または受験生向けのウェブサイトは合格点を取るための最速ルートは提示してくれますが、その過程における楽しさは度外視しています。それどころか、「つらく苦しい受験勉強を乗り越えることが糧になる」とまで言います。巷に広がる受験勉強のセオリーは、つらいものであることが前提となっているのです。そりゃ虚しさにも囚われるでしょうよ。

 

 

 

ここで、そんなことはわかってる。というか勉強がつらく、苦しく、そして楽しくないのは当然じゃん。と思った人、ちょっと立ち止まって、その「当たり前」を疑ってみましょう。

 

その壱で分類したように、学びには四種類あります。そのうち最も初めに起こった学びは一体どれでしょうか。

 

 

明らかに四つ目の「好奇心の充足のための学び」でしょう。

なぜなら、残りの三つはすでに存在する先人の学びの結果を前提としているからです。

 

 

ではこの「好奇心の充足のための学び」はつらく苦しいものであった、あるいは、つらく苦しいものであるでしょうか。

 

 

 

 

そんなはずはありません。もしそうであれば、好き好んで学問をする者はいなかったはずです。(歴代の学者たちが皆マゾヒストであったことは、完全に否定することはできませんが

 

勿論、苦しい場面が皆無ではありませんが、学ぶ喜び、楽しみが根底にあるからこそ、学問はここまで拡大していったのです。

 

 

ここまでくれば、受験勉強がつらく苦しいものでないといけない道理は、どこにも無いことに気付いていただけるのではないでしょうか。受験勉強はつらく苦しいものだ、というのは、学ぶ楽しさを伝えられない教師や塾講師、そしてそのような人たちに育てられた不運な人の言葉なのです。

私には、まだ受験勉強を楽しむ権利が残っていますから、それをみすみす手放すのはもったいなく思えるのです。

 

では、どのように受験勉強に楽しさを見出していくのか。それはまた次回へ。乞うご期待。

 

 

 

 

 

最後まで読んでくれてありがとう!!

次の記事でお会いしましょう。Bye!!

 

 

 

p.s.建設的な批判コメントお待ちしてます。